プロフィール

和布刈公園第二展望台からのぞむ関門橋

ホームページ企画のスキルを認められて二度目の上京

———今、情報系の学校に通ってITスキルを身につける人が多い中、独学とはすごいですね。

 当時、ネットで調べながら独学で身につけられたんです。私のホームページの認知が広まり始めたとき、東京から「今度ネットアイドルの番組を作るから協力してほしい」という連絡が入りました。報酬など具体的な内容も聞かないまま、ただ「東京に行ける!」と舞い上がって二度目の上京を果たしたのですが、実際はテレビに出演する女の子を紹介しただけで、番組自体もすぐ終わってしまいました。

———その後は無職ですか?

 そうなってしまったので、東京にいる理由を作るために仕事を探しました。すると、ホームページ制作の仕事が見つかったので入社したのですが、パワハラ気味の社長が経営する年収180万のブラックな会社でした。そこで、CS放送の番組を作ることになり、カメラ、編集、台本作りなど、映像にかかわる仕事を教わりました。

———パワハラと低賃金の中、よく勤められましたね……。

 社長が怖くてなかなか辞められなかったんです(笑)2年でようやく辞めて、そこからまた、映像系の仕事を探したら、大手アダルトメーカーである、ソフト・オン・デマンドとご縁がありました。しかし、当時30歳だったので、「その年齢で映像の仕事は難しいね。でも、ホームページ制作ができるならそちらをお願いしたい」と、Webページ制作者として入社できることになりました。それまでSOD(ソフト・オン・デマンド)ではDVDしか出していなかったのですが、Webでの映像サービス起ち上げたのは私なんです。それで、新しい試みということで2004年頃、東京スポーツさんに取材していただいたのは良い思い出ですね。役職も課長まで昇進しました。

北九州のソウルフード・資さん(すけさん)うどん

地元の人ほど北九州市の魅力に気づいていない

———SODにはどのくらい勤められましたか?

 5年半です。僕の職歴の中では一番長いです。最終的には、執行役員にまで昇進していたのですが、売り上げの数字に関する経営会議の際、激しい言葉で叱責されるストレスからうつ病を発症してしまい……。内部の社員ならば売上の数字以外のところも見えているので事情がわかるのですが、社外取締役は数字しか見ないので、精神的にかなり参ってしまいました。そしてうつ病で退職し、しばらく休養していました。

———そんな厳しい時代があったとは……。今は寛解されているようで良かったです。

 そして、次にネット販売のアクセサリー屋さんでホームページ制作の仕事に就いたのですが、そこの社長がタイから偽物のブランドアクセサリーを仕入れてきて販売していたので、商標法違反で社長が逮捕されてしまいました。私自身も書類送検されています。社長本人も、私自身も、ブランドや偽物の商品について詳しくなかったので、本当に知らないまま売っていました。だから、これは知っておかないと無知のせいで今後また罪を犯してしまうと思い、知的財産権の資格を取りました。

———そこから、フリーのWeb周りのサービスを始められたのでしょうか?

 そうです。紆余曲折を経て今があります。今でも「地元が好きか?」と聞かれると、ちょっと違う感情なんです。歪んだ地元愛というか。福岡市に比べると人口は減る一方ですし、治安も特別良いとはいい難い。ヤンキー文化のようなものもあるので、その部分は少し苦手です。それが嫌で19歳で東京に出てきたのですが、50歳になった今「地元には何もないと思っていたら、魅力があることに気づいていないだけだった」と悟りました。僕が30年間、何もないと思っていたことを、「そうじゃない、ちゃんと魅力があるんだよ」と、特に北九州市内の人に伝えていきたいです。

(編集協力:姫野桂さん、協力:北九州市東京事務所)

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